高橋晴美の音楽ネットワーク ニュースレター      


桜の花びらが風に誘われて、青空の下を舞い遊ぶ花吹雪…。何と美しい日本の春でしょうか。皆様お元気でいらっしゃいますか。

この春、私は山形県酒田市八幡小学校の開校式に行ってまいりました。酒田市の大沢小学校と、日向小学校、八幡小学校の3校が統合されるにあたり、昨年の秋、新設八幡小学校の校歌の作詞作曲を依頼されました。酒田は一昨年の秋、酒田市中学生合唱祭の最後に歌われる「ひとつ」の1,000人合唱の指導に行かせていただきましたが、今回の校歌を依頼されるきっかけとなりましたのが「ひとつ」でした。「あの『ひとつ』を作った方に是非という事で、教育委員会で決定しました。」と、第6中学の池田誠晴校長からお電話をいただいたのです。その後、教育委員会の方々がわざわざ拙宅までお越しくださり、校歌にまつわるお話を伺っているうちに、自分に求められている作品がどういうものかが、なんとなく解ってまいりました。12月に3校を訪れ、子供達と接し、子供達を取り巻く環境に深い感動を覚えて帰宅いたしました。(12月号ニュース掲載)
まさに「ふるさと」そのものである酒田で育つ子供達に、残してあげられるメッセージは何か…。今までの校歌の固定観念を一切持たず、ただ子供達の事を想い、酒田に想いを馳せて心の耳を傾けてみました。

学校が統合されるためには、閉校される学校もあります。終わりがあって、始まりがある。人生はその波の連続です。3校を見学したあと、統合に関わる先生方や生徒達の心中を感じているうちに、口を突いて出てきた言葉と旋律が、「今、思い出を輝きに変えて、今、この時を新しく踏み出そう」でした。学校から送られてきた、酒田の四季折々の写真を眺めながら、大自然の恵みの中で生きとし生ける物が共存している酒田を思うとき、やがてこの子達が大人になった時、人生の荒波に遭遇した時も、この歌を歌ってふるさとを思い出し元気を取り戻してくれたら、そしてどんなことがあろうと、決して諦めずに前向きに生きていってくれたら…と思いました。巡る季節の中で一日一日を新しく踏み出す事ができたら、きっと素晴らしい人生を歩めるに違いない、そんな願いから、この作品が生まれました。
作品を作っている間中、温かな幸福感に包まれていました。

作品をオーケストレーションし、シンセサイザーで音源を作り、河口湖スタジオで歌ったものを、3月30日の練習時に持ってゆきました。子供達にとって、その日生まれて初めて耳にする曲、生まれて初めて目にする歌詞です。音楽の先生が音源を流し、子供達が果たしてどのような反応を示してくれるか、私は子供達の横顔をじっと見守っていました。

1回目は歌を流し、2回目からその歌に合わせて歌ってみることにしました。少しずつ声が出始め、首を振りながら一生懸命に歌詞を追いながら歌う子供達の姿に、私は感動で胸が一杯になりました。たった1時間半で子供達は大きな声で元気良く、サビの部分は乗りに乗って歌ってくれました。



そして、開校式の4月4日、美しい鳥海山を眺めながら八幡小学校へと向かいました。
校長室でご挨拶をした後、体育館に案内されました。国歌斉唱、酒田市長、酒田市議会議長、酒田市教育委員会委員長、八幡小学校校長のご挨拶のあと、酒田市長から感謝状をいただきました。その後、校歌が生まれた背景をお話させていただき、3校の生徒代表の挨拶、最後に校歌斉唱で壇上に上がって指揮をさせていただきました。前奏が流れ、体育館に整列する子供達を眺めていると、不思議な感覚でした。転調する頃から指揮は自然に両手になり、まるで光のアウルで子供達を包んでいるかのような幸福感が体中を満たしてゆきました。この時初めて、アンコールで後ろを振り向いて会場のお客様に向かって指揮をする夫の胸中がわかりました。「こんなに幸せな思いをしていたのか〜」と。本当に思い出に残る素晴らしい時間でした。


校長室に戻ると、教育委員会の方々が、「歌が始まった途端涙腺が緩んでしまって…」「校歌が流れたあの瞬間から空気が変わりました」「一緒に歌ってしまいました」等など、満面の微笑で話しかけてきてくださいました。何年も歌い継がれてきた八幡小学校の校歌がある中、およそ校歌らしくない校歌を提出するには勇気がいりましたが、皆様に心から喜んでいただく事が出来、安堵いたしました。


長い人生の基となる小学校時代、この曲が子供達の元気いっぱいの声で歌われ、そしていつまでも、一人一人の心の中に生き続けてくれる事を願ってやみません。


2009年4月吉日
高橋晴美

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