"高橋晴美さん"という音楽ジャンルを楽しむ・・・岡部まり

 高橋晴美さんと私を出会わせてくれた音楽は「ひとつ」でした。
 大きな会場で聴かせて頂いた合唱「ひとつ」は、不思議な「佇まい」を持っているように感じました。それは、大勢で歌うととてつもなく、バラバラになりそうな、今にも壊れてしまいそうな「繊細さ」を秘めている一方で、むしろ大勢で歌えば歌うほど「強大な力」も秘め持っているという、本来なら相反するはずのものが正しく「ひとつ」になった音楽でした。

「そらと・・・うみが・・・とけて・・・ひとつ・・・・・」この1行を聞き終えたときのわたしの「心地よい緊張感」をどのように表現したらいいのでしょう。どれほどの種類の喜びを この世に住む私たちに神様が恵んでくださっておられるかは計り知れませんが、大人の年代になってもなお 緊張感で味わえる喜びは、「新しい」喜びなのです。
 今思いますと 音楽「ひとつ」は、無理なく自然に その場にいた私を まだ見ぬ「晴美さん」とをひとつに導いてくれたのだと想います。
  その後、ありがたいご縁のもと、晴美さんとお会いすることも出来ましたが、冒頭から述べておりますようなことを目の前の晴美さんに述べたことはありません。それは、やはりフアンの特権でありまして 各々が一人一人「思い込み」を愉しむこともまた楽しいものです。「楽しみ」とはなにも分かち合うばかりではないのです。私は、「ひとつ」が導いてくれましたこのご縁を 非常に大切にしたいと想っています。それは、今までの喜びの質とはちょっとちがうものを感じているからでしょう。

 具体的に申し上げるなら「晴美さんの音楽の世界」をまだ決め付けるのは勿体無い・・と想っているからです。晴美さんの音楽は、皆さんもご承知のように 誰もが「難しくなく、優しい気持ちになれる、愛に満ちた世界」であります。しかもその基盤としてのキャリアはすでに皆様もご存知のことです。おそらく晴美さんの音楽性というものは すでにフアンの方たちからは「こんな音楽」というイメージを定着させている方も少なくないと想います。それはそれで素晴らしいものです。実際私も「一応」そんなイメージを持っています。それは「揺るぎない安心感」を与えてくれるからです。
 しかし、そんな思いは、昨年の5月から「吹き飛んで」しまいました。東京芸術劇場で行われたコンサートでは、晴美さんを中心に舞台狭しとばかりに 大勢の音楽家たちが「晴美ワールド」を長時間にわたって華麗に展開していかれました。
 このとき、また新しい風に出会いました。『晴美さんはライブで活き変わる人』でした。「生き変わり」ではなく、「活き変わり」です。CDの音色ですっかり思い込んでいた晴美さんの音楽が、ライブではなんとも新しいものとして活きているのです。そして、その年の12月のフォーシーズンズホテルでのディナーショーでの晴美さんの音楽は、さらに変化していました。ことに尺八の人間国宝「山本邦山」氏の「ロストラブ」は艶やかにして上品なものでうっとりとしてしまいました。 

 そして今年の6月にはトリトンスクエアーで その名も「ジャズ イン 晴美」のコンサートです。16人の女性だけのジャズバンドとの共演という異色の企画は、晴美さんの「可能性」と「面白さ」を開花させるというより、予感させるものでありました。もはや、私の中で晴美さんは、「お花畑に舞う蝶のようなイメージ」からあるときは「海の中の熱帯魚」、あるときは、「空を飛ぶ小鳥」にでもなりそうな、そんな新たな「楽しい進化」を思わせてくれる人になりました。晴美さんは、やはり音楽「ひとつ」の親でありました。何でも「ひとつ」に「溶かして」くださいます。
 さあ、いよいよ今年は12月10日の広島です。ライブです。行かないわけには参りません。(笑)広島には、個人的に親戚筋が多く、一緒に行きませんか?と言って案内しようとはじめは想っていました。
 しかし「ひとつ」が出来てより丁度10年目の節に当たるとお聞きしました頃より、ふつつかながら「なにかお手伝いできないかしら・・・」とふと思い立ちまして、終戦から60年目の節目を思い起こさせていただきます8月のある日、晴美さんに「司会のお役」をお願い致しました。
 晴美さんは「ひとつ」への想いを丁寧に話してくださいました。
 妙縁感じます「ひとつ」という音楽と晴美さんに、心からの敬意と愛を捧げたい次第です。


平成17年9月15日
岡部まり

岡部まりさんのご紹介
肩書  タレント、エッセイスト
略歴  長崎県出身。福岡女学院短期大学英語科卒業。在学中からモデル、ラジオのDJを始める。テレビ、ラジオのパーソナリティ、司会の他、女優業、執筆業など活動の場を広げる。中でも外国映画についての造詣が深く、これまで多くの審査員も務める。


 


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