高橋晴美先生の世界と出会って


 コーラスハルミオン団員 住原智彦

飾り気のないストレートな歌詞を乗せた美しい旋律が、深く心に響いた。どうしてこれほど魂が揺さぶられるのだろうか、今まで全く味わったことのない不思議な感覚だった。知らず知らずのうちに、落涙せぬよう天井を見上げていた。「私の音楽を育てた父と母と母校」という演題での3年前の講演コンサートが、最初の出会いだった。


 大学を卒業し、大した迷いもなくあたり前のように大企業に就職した私にとっては、勿論家族という基盤に支えられていたにしろ、毎日の大部分は会社で過ごし、生活の中心はあくまで仕事だった。またそれ以外のことに目を向ける余裕は時間的にも心理的にも全くなかった。大きな商談がまとまったとき、プロジェクトが完成したとき、組織を動かし何か実現できたときに味わう達成感、充実感が最高にうれしく感じられた。ひとりでは成し遂げられないことを仲間とともに成し得たとき、連帯感は強まり、居心地の良い場所がそこにはあった。尊敬できる上司、信頼できる仲間に恵まれたと思う。修羅場を共にくぐりぬけた仲間は、同じ目的の為に戦い、強い絆で結ばれたいわば「戦友」のような存在とも言えよう。大きな組織を離れた今、昔の仲間との語らいは心地よい。それが、これまでの自分の唯一の「世界」だった。


 高橋晴美先生の講演コンサートで受けた波動は大きく、やがて「コーラスハルミオン」に入団することになった。このことを家族に切り出したとき、「平日帰宅は遅いから週末くらいは子供達と一緒に過ごして欲しい。」と文句を言われるかと思っていたら、「講演コンサートを聴いて感動したし、是非やってみたら。」と後押しされた。娘達は、「ねえ、先生のサインもらえるの?」と無邪気に喜んでくれた。晴美先生の音楽をもっと知りたい、歌ってみたいという素朴な欲求からだった。2年半前のことである。


 コーラスにはこれまで全く縁がなかったので、皆の足を引っ張らぬよう必死の思いで練習に励み、一昨年は芸術劇場のコンサートに出させていただいた。そして、昨年末は、広島に行った。練習では、ひとつひとつの作品に込められた晴美先生の思いを直接教えていただける、大変恵まれた立場にいる。事前に先生から広島でのコンサートに対する思いをうかがった。これまで何度か出張で行ったことのある風景をイメージしながら、晴美先生のお話と結びつけても、正直なところ100%理解できたわけではなかった。


 コンサートの前の晩、演目をMDで聞きながら、ほろ酔い観光気分で寒い川辺を原爆ドームに向かった。ライトアップされたドームの前で佇んでいると、地元の勤め人であろうか、通りすがりに祈りをささげて、さっと立ち去って行く姿があった。まるで生活の一部となっているような印象を受けた。その時ちょうどイヤフォンから「ひとつ」が流れていた。晴美先生は、争いのない平和への願いを、「人を愛すること、人のために祈ること、そうした身近なことが積み重なって・・」と表現されていたが、その意味するところがようやくわかった。


 広島に行くまでの私は、晴美先生の音楽を、自分のシチュエーションに置き換えて感じ、その旋律に身を委ねるだけで十分満足していた。「父の言葉」では自分の娘達のことを思い、大企業から小さなベンチャー企業に移り資金繰りで汲々とする中では、「あした」から勇気をもらった。晴美先生の「世界」にいらっしゃる方々は、それぞれの作品について思い感じるところが例え違ってはいても、感性の上で共通した心があり、そういう意味では「心友」とも言えよう。同じ目的の為に戦うビジネスの仲間とは別に、晴美先生の作品を同じような心で受けとめる「コーラスハルミオン」の仲間に出会えたことは、この上もない喜びであるし、仲間との一緒に歌うことは安らぎでもある。だが原爆ドームの前で「ひとつ」を聞いたとき、晴美先生の音楽をただ感動しながら受けとめ、その感動を「心友」と分かち合うだけではなく、みんなの心をひとつにして何かを一緒に動かしていく、言いようもない力のようなものを感じたのだった。高橋晴美先生の世界と出会って、もうひとつ別の人生を与えてもらった。
   


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