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Vol.2 1999年10月
☆ 晴美です、こんにちは
☆ グァテマラ演奏旅行記
☆ 今月のうた(星降る夜に)
☆ LET'Sはるみんぐ
☆ 編集後記

Welcome to The Music Network
By Harumi Takahashi


< グ ァ テ マ ラ 演 奏 旅 行 記 >
--------8月2日------------------------------------−------−
 再び音楽院での練習が始まる。

--------8月3日------------------------------------−------−
 いよいよ本番2日前の歌い手さんのレッスンと、2度目のオーケストラ・リハーサルが行われる。今日は初めてマリンバが入ってのリハーサル。しかし、時間の都合上、2回ずつしかリハーサルできなかった。
 この日の午後は、私達夫婦が楽しみにしていたもう1つのプランを実行する日だった。
実は私達夫婦は子供がいないので、何か人様のお子さんに出来ることはないかと考えていた時、フォスター・プランというものを知った。フォスター・プランとは、未開地の恵まれない子供達が教育を受けられるように、その子の教育費を援助するというもので、いわゆるあしながおじさんのような制度。以前はインドの女の子のフォスター・ペアレンツだったが、彼女が18歳になったので終わる。その後、グァテマラの9歳の男の子、エドガル君のフォスター・ペアレンツとなった。そして彼に会う為に、何キロも車を飛ばし、まずパリンという所にあるフォスター・プランの事務所へ行き、そこからさらに何キロもデコボコ道を走り、エドガル君の住む農家へと向かった。
 彼の家に着き、車を降りると、エドガル君のお母さんと小さなエドガル君がはにかみながら庭に出迎えてくれた。初めて会う家族達とあつい抱擁をかわし、その後、エドガル君の兄弟やお父さんを紹介してもらった。
 彼らは本当に大自然と共に生活をしていた。トタン板の屋根、土の上のベッド、部屋の中はじっとしていても汗がにじみ出てくる暑さ。庭には、豚や山羊(エドガル君が最も可愛がっている友達でいつも一緒に寝ている)、七面鳥、鶏、アヒルがいて、それはそれは大ファミリーだ。
 川で洗濯をし、水浴びをし…そんな普段の生活の様子を、お母さんとエドガル君、そして兄弟達みんなが笑顔で説明してくれた。私も子豚を追いかけて遊び、牛に追いかけられて逃げたり本当に笑い声の絶えない時間を過ごした。大草原を風が渡ってゆき、何頭もの牛たちが犬に追われ、ゆうゆうと移動してゆく。あの情景を私は生涯忘れることがないだろう。
 日の暮れる頃、何度も何度もあつい抱擁をかわし、私達は車に乗った。夕立ちのどしゃ降りの雨の中、ホテルへと向かったが、言葉にならないほどの深い感動で、私は終始無言だった。


(写真 中央がエドガル君、エドガル君の家族と一緒に)
--------8月4日------------------------------------−------−
 音楽院での最後の練習。
 “ひとつ”と“風のうた”の練習が終わると、団員達は口々に「Congratulation! I like your music.」(おめでとう! あなたの音楽が好きです)と手を差しのべる.そして、数枚持っていった両CDは、4,5の2日間で全部なくなってしまった。
 長い間、慣れ親しんだ音楽院のピアノと別れを告げる。
 この日の夕方、大きな虹が見えた。

--------8月5日------------------------------------−------−
 9:30に国立劇場に着く。楽団員とあいさつを交わし、最終的な楽器の位置、マイクチェック、サウンドチェックを行う。順を追ってゲネプロが行われる。海外のコンサートはたいてい夜8:00からというように、日本より遅い時間に行われる。私達はリハーサルを終えてから、1度又ホテルに戻り仮眠をとる。18:30にホテルでドレスに着替え、18:45ホテル出発、国立劇場へと向かう。
 楽屋でもう1度リハーサルMDを聞き直す。友人となった団員達が一人一人楽屋を訪ねて来て、熱い思いを告げておみやげを持ってくる。「これを見てグァテマラを思い出して」と。8:00になり第一曲目のモーツァルト40番が始まる。楽屋で一人座っていると、“父の言葉”の曲が私の脳裏に流れてきた。“〜この日の為に生きてきた 今日を夢見て歩いてきた…父の言葉をこの胸に抱いて 今こそすべてが実を結ぶ時〜”大舞台に立つ前に、いつも私は今日までの歩んできた道のりを振り返り、天国の恩師や私を育ててくれたすべての人達に感謝の思いを送る。やがて2曲目、夫の“ひふみ神歌”が始まる。舞台の袖で聞く。
 静かなハープと歌とのかけあいが続き、曲が終わる。
 いよいよ出番だ。歌手と私と指揮者の小松さんがステージに出て行く。あたたかい拍手の中、一礼して椅子に座る。今日は8月5日、日本時間の8月6日、広島の原爆記念日。し
かも、これから第2部で演奏される“ヒロシマのピカ”と同じ日のプログラムで“ひとつ”を演奏するその意味をもう1度かみしめた。
 静かに指揮棒が振られ、バイオリンのDの音が流れる。
 “〜空と海がとけてひとつ〜”一生涯にただ1度の“ひとつ”が始まる。“〜あなたの部屋に野の花ひとつ〜”ピアノが入り、だんだんと音数が増して来る。間奏の間、私は天を仰いだ。この地から平和の祈りが発信されていっている“今”という時に、全身全霊を傾け、弾き終える。「ブラボー!」という声とわれるような拍手の中、一礼する。
 曲続きで“風のうた”を演奏。マリンバの奏者7人がステージに出てくるのを待ち、指揮者の合図と共にピアノを弾き始める。曲が終わると、一瞬の静寂の後、「ブラボー!」という声、そして鳴り止まぬ拍手。中央に行き、歌手と握手し、指揮者と握手し、コンサートマスターとマリンバ合奏団と握手する。深くおじぎをし、花束を頂いて、舞台の袖へと戻っていった。
 ちょうど1部と2部との休憩時間という事もあって、オーケストラの団員が一人ずつ握手をしながら、口々に「Congratulation!」(おめでとう!)と楽屋に入っていく。すぐ文化大臣が、目に涙をためて感動を伝えに来てくれた。小松さんも「よかった。よかった。」と満面の笑顔で握手をしてくださり、まだこれから2部があるというのに、楽屋で記念撮影。
 アンティグアのロベルト・フェルナンデスさんも片言の英語で感動を伝えようとする。
 「I couldn't stand up.Tears run from my eyes.」(立ち上れなかった。涙が目から溢れてきたんだよ…)と言いながら、涙をいっぱいためて私を見つめる。その思いが伝わってきて、私まで涙が溢れてきた。この時、音は国境を越えて伝わるものである事、聴衆を含めてすべての人達が、音楽で心がひとつにとけ合っていることを実感した。
すべてのプログラムが終了した後、楽屋で名残惜しそうに、いつまでも乾杯が続いた。大使にも大変喜んで頂いて、2年後の再会を話し合った。
 『音楽は人の心を裸にさせ、一体化させてしまう』「ムーチャス・グラッシャス、ムーチャス・グラッシャス」(本当にありがとう、心から感謝します)といつまでも抱擁が続いた。

--------8月6日------------------------------------−------−
 朝4:30に車が迎えに来る。飛行場へと向う。お世話になった大使館の人達と、手を振って別れ、飛行機に乗る。小松氏と3人でおつかれさまの乾杯をする。飛び立つ飛行機の窓から、20日間の思い出をくれたグァテマラの地を見下ろす。ホテルはどこだろう、国立劇場はどこだろうと必死で目をやる。だんだんと小さくなってゆくグァテマラの地。
 次第に白い雲が広がり、その向こう側に山々が頭を連ねている。まるで天界のようだ。そのとたん、目の前にまん丸の虹が出た。しばらくの間、ずっと窓からの景色を眺めた。生きてこんな体験をさせてもらえた事に、あふれる感謝の気持ちでいっぱいだった。
 「素晴らしい曲をこれからももっと書いて下さい。そして、又グァテマラに帰ってきて下さい。」団員達の言葉と目の輝きを、私は1999年の夏の思い出の引き出しに大切にしまった。


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