ポーランドでのレコーディング紀行
Part3

 

 今この時にすべてを傾けて生きている実感と、この時を与えられている感動と、この私を育ててくれた父への感謝の思いで全身が熱くなる。必死に涙こらえ集中する。弾き終わると「ジンクィーエン(ありがとう)」というサーシンの声がスピーカーから流れた。終わった。団員達から、拍手がおこった。

 コンサートマスターのエヴァと握手をし、団員達と挨拶を交わし、ミキシグ・ルームに戻った。 後で聞けば、この時、ミキシング・ルームでは、歌詞の意味が分からないはずのアシスタント・エンジニアも涙をぬぐっていたという。心ある人達と共に作業できた事が本当に嬉しかった。

  サーシンやアシスタント、そしてコンサートマスターのエヴァとお疲れ様の握手と抱擁を何度も交わした。天野さんは、その後引き続き、自分の曲のレコーディングの為、ホールに残り、私達はすぐホテルに戻った。録ったテープは、1週間後、天野さんが帰国する時に持ち帰り、編集することになっている。

 

旧市街でまりちゃんと

 

  そして私達4人(真理ちゃんと朗子さんと夫と私)は、朗子さんの案内で旧市街へと、バスに乗って行った。さて、これからの半日は、楽しい楽しい観光だ。疲れているのに、皆、笑顔だ。旧市街に着き、石畳と橋を見た途端、私は懐かしさに思わず感嘆の声をあげてしまった。10年前、夫の曲“般若理趣交響曲”の再演で、この地を訪れたことがある。あの時、自分の曲の演奏の為に、再びワルシャワを訪れるなど、予想だにしなかった事である。懐かしさに目を輝かせながら、あの時歩いた道を歩き、あの時入ったお店に入った。

 旧市街は第二次世界大戦で瓦礫の山と化したが、街を愛する市民が、そのままの姿を完全に復元させた実に美しい街である。まるで、タイムマシーンに乗って、中世の時代に舞い戻ったような不思議な世界が広がっている。昼食は、忘れもしない10年前の5月19日に誕生日祝いをしてもらった思い出深いポーランド料理の老舗に入った。

 そして、10年前に注文した同じメニューを注文し、4人でお疲れ様をして、大いに盛り上がった。何しろ出てくる料理の器の大きさと料理の多さには、目を見張るものがある。一人一人のメニューがテーブルの上に並べられる度に、その大きさに全員声をあげて驚いた。皆、笑いの連続である。楽しいお昼のひと時を終え、お店のウエイターと記念撮影をした。 お店を出ると雨が降り出した。次第に雨足は強くなってきたが、ずぶぬれになりながらも、私達は1軒1軒店を見て回った。 明日の朝はこの地とお別れなのだ。あまり雨が激しくなってきたので、私達はタクシーに乗り、ショパンの心臓が祀られている教会へ行った。ちょうどミサの最中で、入った途端、美しい賛美歌が聞こえてきた。聖歌隊の声とパイプオルガンの響きと、古い教会のにおいが入り混じって、ポーランドの伝統、文化、生活を感じさせる。しばらくの間、私達はその中にひたっていた。

ポーランド料理のレストランで記念撮影

 大急ぎで階段を駆け下りてゆく。この数日間、ステージとミキシング・ルームとの階段の昇り降りで、少々筋肉痛だ。ハーハー言いながら、ステージ後方から弦の合間をぬって、ハープの所まで行く。弾く所と弾かない所を説明して、ピアノの椅子に座る。天野さんとテンポの確認をする。しばしの静寂の後、指揮棒が振り下ろされ、イントロが始まった。もうその途端から、胸がつまりそうになる。「まいった! 泣かないようにしなければ・・」イントロが終わり、ピアノ1本で真理ちゃんが歌う。“ピアノの上に飾った額に遠い昔の父と子の写真”ビオラが静かに入ってくる。なんと幸福な時間なのだろうか。 今この時にすべてを傾けて生きている実感と、この時を与えられている感動と、この私を育ててくれた父への感謝の思いで全身が熱くなる。必死に涙こらえ集中する。弾き終わると「ジンクィーエン(ありがとう)」というサーシンの声がスピーカーから流れた。終わった。団員達から、拍手がおこった。

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