
広がる青空の下、色とりどりの花が咲き、春の訪れを喜び合っているかのような季節ですが、皆様お元気でいらっしゃいますか。私は、4月8日9日と、母の同窓会行きに付き添って京都に行ってまいりました。私の生まれた故郷でもあり、偶然にも夫が生まれた故郷(同じ産院で同じ先生に取り上げられていた事が母親同士の話で判明)でもある京都とは、赤い糸(鎖)で繋がれていると言われるほど深い因縁の地でもありますが、母が19歳で東京にお嫁に行くまで思春期を過ごした母の母校には、未だ一度も入った事がありませんでした。今回、講堂が新しく建て直されるために、壊される前にもう一度かつて歌った舞台を見ておきたいという母の願いが叶い、特別に見せていただく事が出来ました。
母が学生の頃、学校の舞台でよく歌っていたという話は何度か聞いてはいましたが、講堂の扉をあけていただき中に足を踏み入れた瞬間、言葉にならない感動に包まれ涙がこみ上げてきました。かつて10代の母が1250名収容できる講堂の舞台に立ち、溢れる人々の前でオペラアリアを歌っていた頃の姿を想像すると同時に、愛してやまなかった歌の道をきっぱりと捨てて、私を生み育てる事に全てを注いでくれた母の人生を思うと、タイムマシンに乗ってその時の母に会いたいという思いに駆られました。講堂の入り口に今は使われなくなった当時のスタインウェイのフルコンが置いてありました。ふたを開けてみると、鍵盤はボロボロにはげて無くなり、高さもバラバラになっていました。かつてニカラグアで弾いたピアノよりも老朽化したピアノ。(http://www.harumi-net.jp/yumefile/yumehiko/yumev16p1.html)
その1音に触れてみると、ポ〜ンと美しい音が心に響いてきました。当時京都には、スタインウェイのフルコンはこの1台しかなく、クロイツァー先生、井口基成先生、昔一世を風靡した素晴らしい芸術家の先生方が弾かれた年老いたピアノは、そのお勤めを終えて静かに講堂の傍らで、母との再会を待っていたかのようでした。特別に見せて下さった事に感謝し、何度もお礼を申し上げて学校を後にしました。
家に帰り、あらためて「母に贈るうた」を歌うと、今までよりももっと深く、感謝の想いがこみ上げてきました。
5月は、母の日のある月であり、自分の生まれた月でもあります。コーラスハルミオンも今月は「母に贈るうた」の練習を致しますが、心からの感謝を込めて「母に贈るうた」を歌いたいと思います。
2013年4月14日 高橋晴美
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