高橋晴美の音楽ネットワーク ニュース レター  



 猛暑に次ぎ、雷、台風、豪雨、・・・この夏から秋にかけては、本当に大自然の猛威に人間は猛反省という日々が続いております。そのような中、二日間続け て二重の虹を見せていただきました。何か気配を感じてベランダに出ると東の空に大きな虹がかかっていて、しかも2重の虹が…。慌てて母を呼びに行き、消え る前に母に虹を見せてあげる事が出来ました。

 丁度前日が、父の命日であったため、母は父が天に帰って行くのだと言いながら、ずーっと見送っておりました。その2日間は、私にとっても忘れられない日と なりました。実は17年前に遡りますが、ファーストアルバム「My Eternal Love」のレコーディングで、当時2枚組のCDを作るつもりで録音 した作品の内、2枚組の予算を1枚で使ってしまったためトラックダウンをしてもそのままCDに入れずに寝かしている曲がありました。1曲は「夕べ」、そし てもう1曲はレコーディングした作品の中で最も多くの生楽器を使って演奏したにも拘わらず、テンポが気に入らなくてトラックダウンもせずに没にした「今日 −虹を渡る日」でした。あの時の事は忘れられません。この1曲のために費やした100万を、「没!」の一言でどぶに捨ててしまった自分の愚かさ…、毎晩ピ アノを弾いてこつこつ貯めた貴重なお金を、あっけなくどぶに捨ててしまった自分が情けなくて申し訳なくて、自分を責めて泣き寝入りしました。数日間生きた 心地もせずにどん底を味わった後、「そうだ!いつかこの曲をオーケストラでレコーディングしよう!」と思い立ち、苦しみを明日の夢に変えて立ち上がること が出来たのです。その2年後、ポーランドで、ワルシャワ国立管弦楽団によって私の夢は叶えられました。あの日、ショパンコンクールが行われる歴史あるホー ルに「今日−虹を渡る日」のイントロが響き始めた時の感動は言葉では言い表せないものでした。あれから17年の時を経て、今年の5月に実現した石井智子さ んとの夢の共演に続き、17年前に智子さんが熱唱して下さった「今日−虹を渡る日」が、伝説のレコーディングエンジニア黒田勝也氏によって、プロツールス を駆使してみごとに甦ったのです!

 この業界で、アナログの時代の歴史を作ったエンジニアがプロツールスに挑戦する事は恐らくないでしょう。しかし、達人というのは自分に限界を作らないのだ ということをあらためて確信いたしました。もう一度、あの時の演奏が甦るとは…あの時想像もしない事でした。よりにもよって、二日間に亘るその作業の両日 に、二重の虹を見せていただけるなんて…神様はなんて粋な計らいをなさるのでしょう!生き生きと甦った「今日−虹を渡る日」を聴きながら、無駄な事は何一 つないのだなあ…と、大事な事は最後まで諦めない事だとしみじみ思いつつ、まるで命日に父が『たゆまぬ努力と祈りがあれば全ての事が必ず叶う』と「父の言 葉」を形にして見せてくれたような気がいたしました。

 虹は、本当に不思議です。虹は人に希望を見せてくれる…虹は人を幸せな気分にさせてくれます。明日は何が起こるか解からないような今の世の中ですが、誰かを少しでも幸せに出来るようにこの命お使いいただきたいなあ・・・としみじみ思ってしまいました。

 さて、10月10日、11日は、山形県酒田市合併10周年を記念して行われるイベントに行ってまいります。
今までも酒田とのご縁については何度か書かせていただきましたが、初めてご覧になる方のために、あらためて酒田との10年間の歩みを綴らせていただきたいと思います。




  昨年秋に行われた山形県酒田市立八幡小学校創立5周年の式典の帰り道、当時酒田市松山総合支所長の池田成男様から、「来年は酒田市合併10周年を迎え ますので、その時に「ひとつ」を演奏していただく事は出来ませんか」とお話しをいただきました。後で気付いて大変驚いた事に、「ひとつ」が酒田に種蒔かれ て、この11月で丁度10周年を迎えるのです。10周年が二重に重なる酒田とのご縁の深さに、あらためて驚いております。
 
 酒田と私の歴史は、2005年4月に、東京のセシオン杉並で行われた合唱の演奏会のアンコールで歌われた「ひとつ」を、当時酒田第4中学の音楽の先生を していらした長谷部浩先生が聴かれた事からはじまりました。長谷部先生からいただいたお手紙は会報「夢飛行」Vol.23に掲載されておりますが、ご存じ ない方もいらっしゃると思いますのでご紹介させていただきます。
 私は、山形県酒田市にて中学の教員をしております。長谷部浩と申します。 先月、杉並Jr混声合唱団の演奏会に出かけた時、アンコールで歌われた「ひと つ」という曲に大変感動いたしました。 人と人がとける、国と国がとける このフレーズがあの日以来忘れられません。 学校での合唱の指導はもちろんです が、学校外でも少年少女合唱団、ママさんコーラス、一般の混声合唱団の指導に携わっております。多くの人と、高橋先生の曲を歌う事が出来たらと思います。 「ひとつ」の楽譜は混声、女声、二重唱とあるようでしたが、すべてをいただきたいと思います。突然で大変失礼ではありますが、よろしくお願いします。                      
     2005年5月11日     長谷部浩

 この長谷部浩先生の熱い想いは、その年の11月、第1回酒田市中学生合唱祭で酒田市第4中学が「ひとつ」を歌う事に始まり、卒業式では650人の大合唱 となり、その時の感動の波紋は大きく広がって行く事となりました。2006年にはNHK全国学校音楽コンクール山形県大会で、酒田市立飛鳥中学校が自由曲 に「ひとつ」を歌われ、その年の11月に開催された第二回酒田市中学生合唱祭には、酒田市立飛鳥中学校が女声三部で、酒田市立松山中学校が混声四部で「ひ とつ」を合唱されたのでした。こうして酒田に蒔かれた「ひとつ」の種は、一人から何百人へと広がって行き、2007年11月に行われた第三回酒田市中学生 合唱祭には、最後に酒田市中学校全合唱団が歌う合唱曲に採り上げていただくことになりました。当時第6中学校の池田誠晴校長先生からご丁寧なお手紙とお電 話をいただきました。そして、酒田の地で約1000人の中学生が歌う「ひとつ」を初めて聴かせていただく事となったのです。酒田市全11校の中学生と一緒 に演奏した「ひとつ」は、生徒達の目の輝きと共に私にとって生涯忘れられない思い出となりました。そしてその日が長谷部先生との感動的な初対面の日となっ たのです。

 酒田に蒔かれた「ひとつ」の種は、又あたらしい出逢いをもたらしてくれました。
その翌年、長谷部先生は高橋晴美の作品を歌うコンサート「愛と癒しのコンサートin 庄内」を企画してくださり、着々とコンサートの準備が進められる中、一方その秋に池田誠晴先生より校歌の作成依頼のお電話がかかってきたのです。八幡小学 校と大沢小学校と日向小学校の3校が統合新設されるにあたり、新しく校歌を作詞作曲していただけませんか、という事でした。
 
 始めは、校歌の作曲依頼という事でなく、作詞作曲依頼という事に躊躇しておりました。
 「先生、歌詞は生徒をこよなく愛して育てていらっしゃる池田誠晴先生がお書きになって、私がそれに曲を付けるのでは如何でしょう?」と申し上げたとこ ろ、「いえ、あくまでも先生の作詞作曲でお願いたします。」とのお返事が返ってまいりました。しかし、池田誠晴先生の「『ひとつ』を聴かれた先生方の意見 が満場一致して決まりました」というお話を伺っているうちに、先生方が求めていらっしゃるものがどういうものか、有名な大御所の作曲家ではなく、何故わた くしを選んでくださったのか、理由がだんだんと見えてまいりました。
 池田誠晴先生に、「歌詞の中に、入れてほしい言葉はありますか?」とお尋ねしたところ、「一切の制約はございません。全て先生にお任せ致しますので、こ れまでの校歌という形に全くとらわれずに先生の感じるままにお願いたします。」と仰って、私に全信頼を置いて任せて下さったのです。
 
 「失われつつある日本のふるさとがここには残っている!」鳥海山のふもとで大自然に育まれてのびのびと育つ子供たちのために、何かお役に立つ事が出来れ ばこんなに嬉しい事はないのではないか、これまでの校歌という固定観念にとらわれず、酒田の自然と、その中で成長してゆく子供達の事を思って音楽を書かせ ていただこう!と思いました。
 まさに「ひとつ」の曲が、酒田とのご縁を繋ぎ、更に素敵な人と人の出会いをもたらせてくれることとなったのです。



 そしてその翌年2009年2月14日バレンタインデーに行われた「愛と癒しの歌in庄内」も、地元の方々の熱い協力を得て感動のうちに終わりました。アンコールの「ひとつ」では長谷部先生に指揮をしていただき、ステージと客席がとけあう感涙の大合唱となりました。
 一方、3月30日には、出来上がったばかりの校歌の楽譜と音源を持って、子供たちの歌唱指導に酒田市立八幡小学校へ伺いました。そして、その僅か数日後 の4月4日、美しい鳥海山が見守る中、開校式は行われました。紅白の布に彩られた体育館の壇上に立ち指揮をしていると、まるで光のオーラで子供達を包んで いるかのような幸福感が体中を満たしてゆきました。
 
 その後、卒業した生徒たちが再会した時に歌えるように混声4部合唱に編曲し、楽譜を出版し、酒田市と八幡小学校に贈呈させていただきました。「八幡小学 校校歌〜今、思い出を輝きに変えて〜」は、今では東京だけでなく、沖縄宮古島では地元の中高生の吹奏楽団と一緒に大合唱し、中でもオーケストラと大合唱 した被災地福島では演奏が終ったとたんにスタンディングオベーションとなり、拍手が鳴りやみませんでした。
 2011年5月に東京杉並公会堂大ホールで開催された東日本大震災チャリティーコンサートでは、お忙しい中、酒田から池田誠晴先生がいらしてくださり、 素晴らしい指揮をしてくださいました。その時の模様は64チャンネルで録音、レコーディングの魔術師黒田勝也氏が、3カメ映像を駆使して編集してくださり DVD、ブルーレーディスクにして下さいました。
 昨年秋に酒田市立八幡小学校が創立5周年を迎えた折、その記念式典で体育館のスクリーンにDVDの映像が紹介されました。そして子供たちと一緒に、校歌を演奏させていただきました。懐かしい体育館…。
まさに、酒田は私にとりまして第2の「ふるさと」、そんな気がしております。10月の酒田は、思い出の詰まった10年間をあたためながら、溢れる愛と感謝を込めて向かわせていただきたいと思います。 
                    
                                       2015年9月吉日  
                                         高橋晴美  




晴美先生へ(お待ちしております)

 流れる曲に思いをのせ、時には愛を語り、そして、時には生き抜く力強さを伝える晴美先生の歌が会場に響き渡る日を夢見てまいりました。その待ちわびた日 がいよいよ近づいてまいりました。私達の大きな願い、しかし素人集団、先生にはその分大きな負担とご心配をおかけして申し訳なく思っおります。
 

 前にもお話しさせて頂きましたが、私達の酒田市は、一つの市と三つの町が合併し、今年が10年目にあたります。時代の大きな流れの中で、希望や不安、様々 な思いを抱きながらも、心を一つにして歩んで行こうという思い、お互いを認め合う心がこの10年を支えてきたものと受け止めております。また、学校におい ても少子化の波を受けて学校統合が進んでおりますが、子ども達もまた、心を一つにして進んで行こうという思いであることを伺っております。

 合併10周年の節目の年に、晴美先生の「ひとつ」の心を私たちに届けてほしい、この先も、心をひとつにして進んで行くための光となってほしい、そんな願いを抱きながら、「酒田にお出で頂けませんか」と大きなお願いをしてしまいました。
 その待ちわびた日(10月11日)が目の前に近づいてまいりました。
 大勢の皆さんに音楽を楽しんで頂きたい、そして、音楽を愛する子ども達には豊かな成長の糧にしてほしいと願っております。特に子ども達にとっては、感動する場面やあこがれを抱く場面に数多く出会うことは、その先にある人生の道標にもなると信じております。

 平成21年に旧八幡町の三小学校が統合いたしました。当時、酒田市立第六中学校の池田誠晴校長先生の仲立ちのもとに、晴美先生から現地視察もして頂い て、地域の風景が思い浮かぶような、とても素敵な八幡小学校の校歌を創って頂きました。あの時のことは、嬉しくて未だに鮮明に浮かんでまいります。それが 今、「八幡小学校校歌 〜今、思い出を輝きに変えて〜」として晴美先生には全国各地でご紹介して頂いて、本当にありがたいことと感激しております。

 聴く楽しみ、歌い、そして演奏する喜びと、音楽を愛する姿は人によって異なりますが、音楽は生活に潤いをもたらしてくれるものと思っております。

 夢、願いがかなう日、大きな感動の渦が巻き起こることを夢見ながら、お待ちしております。


                                         平成27年9月11日

山形県酒田市役所  池田 成男




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