中南米演奏旅行報告


 今年は、日本・中米外交70年の年にあたり、各国で様々な文化交流の記念行事が行われております。その一環として、7月24日より8月16日までの約三週間、高橋裕先生、筝奏者二名と共に中南米五カ国に演奏旅行に行かせて頂きました。

 7月24日に、最初の訪問国コスタリカに到着し、翌日は朝から会場である国立劇場にてリハーサル開始。コスタリカでのコンサートは「国境なき音楽」と題され、第一部は
 中米の曲と高橋晴美先生作曲の「めざめ」「母に贈るうた」をバイオリンとピアノで、第二部は筝二面による、春の海、など日本の曲、最後に高橋裕先生作曲のひふみ神歌を琴二台、バイオリン、ピアノで演奏するというものでした。リハーサルで晴美先生の曲を弾き終わると周りにいた舞台監督さん、照明さんや音響さんからブラボーの声が上がり、さっきまで怖い顔をして仕事をしていたのに今度はニコニコしながら素敵な曲だねーと言って話しかけてきました。その場がとても和やかで温かい雰囲気になり、旅が始まって早々晴美先生の曲の不思議なパワーを見せられた気がしました。
その夜のコンサートはなんとも言えない素敵な雰囲気に包まれたコンサートとなりました。コスタリカではおなじみの中米の曲を弾き始めるといきなりフラッシュの嵐。「演奏中の写真撮影は禁止ってアナウンスしたのに、」と大使館の方。そしていよいよ晴美先生の曲。「めざめ」、「母に贈るうた」の解説が入り「めざめ」の出だしのピアノが始まった途端、会場の中が水を打った様に静まり返り、何か今まで聴いたことのない旋律に皆が聴き入っているという感じでした。私自身も、弾きながら嘘の様に心が落ち着き、会場全体が何か温かい愛に包まれている感覚でした。とにかく心を込めて、祈りを込めて弾かせて頂きたいという想いが湧き上がり、弾き終わると汗が滝の様に流れていました。果たして晴美先生の曲の素晴らしさ、少しでも伝わっただろうかとこちらが思ったのと同時に「ブラボー」の声が上がり、真っ暗な客席から本当に温かい拍手が沸きました。次に私が晴美先生の曲の中で必ず涙が出てしまう「母に贈るうた」です。演奏しながら母への感謝の想いが湧き上がり、またしても客席からブラボーの声が上がりました。出発前、晴美先生に、「この曲は歌詞が本当に素晴らしすぎて果たしてバイオリンでこの曲の良さを伝えられるのでしょうか」、と少し不安を感じていることを伝えました。すると晴美先生は、「私はこの曲に込めた母への感謝の気持ちを人の歌ではなく自分自身の言葉で伝えたくて愛のピアノのCDを作ったのよ。」とおっしゃられたことを思い出しました。たとえ言葉がなくても、人への感謝の気持ち、祈り、そして愛は音楽を通して伝わるのだと教えて頂きました。人前でバイオリンを弾くことの楽しさを思い出させてくれた、一生忘れられない夜となりました。
 明朝、余韻に浸っている暇もなく次の滞在国グアテマラに出発をしました。グアテマラでは晴美先生作曲、「Vocalize」と「Festa de Carib」を小松先生指揮、グアテマラ国立交響楽団の演奏で、晴美先生がピアノを弾かれる予定でした。私は、大学の学園祭で三年連続晴美先生の曲を学生オケで演奏させて頂いた程、晴美先生のオケの曲が大好きです。今回グアテマラのオケに交じって、大好きな「 Festa de Carib」を弾けるとあって、とても楽しみでワクワクしていました。
次の日、早速リハーサルが始まり、晴美先生の紹介、曲の紹介があり「Festa de Carib」がグアテマラで作曲されたことなどが伝えられました。一曲弾き終わるごとにブラボーの声と拍手が起こり、二度晴美先生と共演しているオケのメンバーが、いかに晴美先生の曲が好きなのかが分かり、こちらまで嬉しくなってしまいました。その様な中、晴美先生が急遽ご事情により今回の演奏旅行に来られなくなったことが告げられました。晴美先生にお会い出来るのを心待ちにしていたメンバーは、皆口々に残念だと言い、私も大きなショックを受けました。さあ大変なことになったと裕先生は晴美先生の曲、中南米の曲のピアノパートを、私はオケの合間に廊下のピアノで先生と必死になって練習をしました。オケは肝心の打楽器がぎりぎりまで揃わないなどアクシデントもありましたが、本番直前に指揮者の小松先生も合流され、八月四日二十時、二千人収容の国立大劇場にて「小松一彦指揮による国立交響楽団国際コンサート」が開催されました。小松先生が指揮をすると、オケもついに本領発揮といった感じで、「Vocalize」は皆が曲に入り込み、何とも言えない雰囲気に、演奏しながらこちらまでホロリときそうになりました。そして何より「Festa de Carib」は、練習中にメンバーがソリストに「踊って弾けば!」と言っていたほど、全員ノリノリで、本当に踊りだしたくなる熱い演奏でした。やはりラテンの血が騒ぐのか本当に楽しそうに弾いていて、私も晴美先生の曲を通して普段では見られない彼等の内面を垣間見た様な気がしました。もちろん演奏会が終わるとスタンディングの拍手で、レセプションでは晴美先生のサインを求める方や、中には二年前の演奏会にいらしたと言う方もいて今回晴美先生のピアノを聴けなかったことを非常に残念がっておられました。
 十日間に亘る思い出深いグアテマラ滞在を終え、八月五日、私たちはニカラグア国マナグアに到着しました。ニカラグアでのコンサートは、サマータイムということもあり、夜7時開演にもかかわらず明るい内からのスタートとなりました。国立ルーベンダリオ劇場クリスタルの間はガラス張りで、演奏する私たちの目の前に美しい湖の風景が見え、演奏するものの心を豊にしてくれました。またこの会場の明るさが思いも掛けない感動をもたらしてくれました。演奏が終わる度にお客さんの表情が良く見え、驚いたことに、一曲終わるごとに目の前にいる方の顔が穏やかに、優しくなっていくのがわかりました。演奏している私も、いつも晴美先生の曲を弾き始めると人としての優しい心を取り戻すと言うか、人を思いやる心が自然と出てくるのですが、まさかこれだけ多くのひとの表情をもこんなに幸せそうに優しく変えてしまうのかと、感動で心が震えました。ニカラグアでは、アンコールで、「夢さめて」を筝二面、海外協力隊の筝奏者も加わり、バイオリンとピアノで演奏しました。目の前に広がる大自然の力も手伝ってかなんともゆったりした気持ちで、なんとスケールの大きな曲なのだろう、全世界に響けー!と溢れる想いで演奏していました。レセプションに出席したほとんどの方が、「夢さめて、が本当に良かった。感動しました。」とおっしゃられ、また晴美先生が編曲されたニカラグアの第二国歌とも言われる「ニカラグア ニカラグイータ」を聴いた地元の方、また音大生は口々に、「やはり晴美さんの編曲ですか。この国ではこんなに素敵な編曲は聴いたことがなかったのでどなたかと思いました。ぜひ楽譜を頂けないでしょうか」とお願いされました。地元の人もこんなに感激させる晴美先生の編曲は、どうやったらこうなるの?!というぐらい素敵な編曲なのです! 翌朝、まだ夜明け前の暗い中、ホテル発、四カ国目の訪問国ホンジュラスに向けて出発。
 ホンジュラスでは現在、国として音楽に力を入れておられるということで、国立劇場でのコンサートには、音楽関係の方(音楽院の学長、音楽学校の校長、先生方、音楽家など)が多く見えられ、皆さん晴美先生の曲にとても感激された様子でした。特にグアテマラの「ルナ デ シェラフ」と、晴美先生の「夢さめて」が、とても素晴らしく気に入ったとおっしゃられていました。
 最後の訪問国ペルーでは、現在治安の回復に努めている国家警察を支援しようと、今回の演奏会がチャリティーコンサートとなり、大きく新聞で採り上げられました。現在ペルー国では一番大きく、立派な劇場である日秘大劇場で行われ、会場は満員、始めに今まで演奏した中米の曲四曲とコンドルは飛んでゆく、そして晴美先生の「めざめ」、「母に贈るうた」をバイオリンとピアノ。続いて日本の曲を筝二面で、裕先生作曲のひふみ神歌を琴、バイオリン、ピアノで演奏し、スタンディングの拍手の中、国家警察より今回の協力に感謝し、一人一人表彰されました。アンコールの「夢さめて」が終わると、目に涙を浮かべ久しぶりに感動して涙が出たと言う方や、本当に素晴らしかったと言って、皆さん舞台裏まで来て下さいました。

ホンジュラスのテクシガルパ国立劇場にて、「夢さめて」の演奏
中央バイオリンが筆者の大場恵菜さん


 思い返せば出発前、何もわからず経験もない私に対して、ただただ広い心で接して下さりこんな未熟な私に、晴美先生の曲をバイオリンで弾くという夢の様なチャンスを与えて下さった晴美先生、そして裕先生にただただ感謝の気持ちで一杯です。今回の演奏旅行を通してどれだけ多くの事を学ばせて頂けたかわかりません。晴美先生の人柄に直接触れることができたこと、そして何より、あんなに間近で晴美先生のピアノに接することができたのは今でも夢の様で、私の一生の宝物です。本当にありがとうございました。いつか私の生まれたペルーで、一人でも多くの方が晴美先生の生のピアノ、そしてその曲に込められた深い愛に出会える日が来ることを願って、これからも晴美先生の「practice、practice!」のお言葉を胸に、バイオリンの腕を、日々コツコツと磨いてまいりたいと思います。
晴美先生、音楽の素晴らしさ、演奏することの喜びを教えて頂き、本当にありがとうございました。

                              大場恵菜




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