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Vol.2 1999年10月
☆ 晴美です、こんにちは
☆ グァテマラ演奏旅行記
☆ 今月のうた(星降る夜に)
☆ LET'Sはるみんぐ
☆ 編集後記

Welcome to The Music Network
By Harumi Takahashi

< グ ァ テ マ ラ 演 奏 旅 行 記 >
By Harumi Takahashi
--------7月18日-----------------------------------−------−
 夕刻、成田発デルタ航空で、アトランタを経由して、グァテマラに同日20:00に到着する。
日本大使館の迎えを受ける。(今回の演奏旅行は、グァテマラスポーツ文化省、日本大使館、国際交流基金の主催で行われた。)

--------7月19日-----------------------------------−---------−
 9:30 文化スポーツ省の車で音楽院に到着する。グァテマラ国立管弦楽団のメンバーに紹介され、今回の2日間のコンサートプログラムの初回のリハーサルに立ち会う。8月5日までの月〜金の9:30〜12:30はオーケストラのリハーサルが行われたが、私は自分の曲のリハーサル以外の時間、ピアノ部屋を借りて自由に使わせていただいた。何とも幸せな時間だった。
 この日はTV局のインタビューが入り、「あなたにとって音楽とは何ですか。又、今回のグァテマラと日本の音楽の交流についてどう思われますか。」と質問を受ける。私は、「私にとって音楽は生きることであり、私の人生そのものです。今回 ”ひとつ“と”風のうた“を演奏させていただきます。”ひとつ“は小さな愛が、やがて国と国にまで及ぶ大きな愛へとなることを歌った曲です。今回の文化交流により、グァテマラと日本がひとつとなり、やがて世界が愛でひとつになることを祈って演奏させていただきます。」と応え、その後、”ひとつ“を弾きながら歌う。
 夜、国家宮殿にて「日本文化月間」の開会式、およびレセプションが行われた。
アルスー大統領、モラレス文化スポーツ省大臣、浦辺日本大使、公使同席の式典で、日本からは茶道、古武道のチームと、音楽では指揮者の小松一彦氏、作曲家で夫の高橋裕、そして作詞・作曲家ピアニストの高橋晴美の参加となり、名前を呼ばれ、一人一人が紹介された。この際。大統領と大臣にCDをプレゼントさせていただいた。

(左からモラレス文化スポーツ省大臣、高橋晴美、小松一彦氏)

--------7月20日------------------------------------−---------
 リハーサルの後、バイロン氏元駐日グァテマラ大使が迎えに来て、小松氏と4人で韓国系寿司のレストランで昼食をとる。大変妙な韓国風味噌汁が印象的。
国立考古学博物館に行った後、バイロン氏の家に行き、夕食をご馳走になる。彼の家は大農園の中のログハウスで窓は大きくて、私のCDアルバムの中の“Silent Love" を聞きながら、”夜明けに窓をあけ、東の空を見る 〜 あなたのこと祈ってる "の説明をしてくれた。
 彼は大変、私のCDを気に入ってくれ、目に涙を浮かべながら、その感動と感謝の思いを何度も何度も、片言の日本語で告げてくれた。その彼が、暖炉の火で焼いてくれたステーキとガーリックトーストがとてもおいしかった。

--------7月21日------------------------------------−------−
 リハーサル後、レストランカカオ(グァテマラ料理の店)で浦辺日本大使と昼食会。今の
グァテマラの国情勢を聞く。

--------7月23日------------------------------------−------−
 リハーサル。
 23日は初めての“ひとつ”"風のうた“のリハーサルが行われた。リハーサルの前にまず、歌い手さんの個人レッスンを行った。私はスペイン語は全く駄目なので、片言の英語で説明しながら、弾きながら、歌いながらレッスンをした。 何より嬉しかったのは、彼女が二つの私の作品をとても好きであるという事だ。
 オーケストラのリハーサル直前、あらためて作曲者の紹介があり、“ひとつ”からリハーサルが始まった。とりあえず一曲通して演奏が行われた。終わったとたん、「ブラボー、ブラボー」とオーケストラの団員達が拍手喝采してくれた。張り詰めた緊張感がこの一瞬喜びへとときほぐされた。
 続けてすぐ、“風のうた”、やはり終わったとたん、大拍手。そしてリハーサルが終わると、団員達がピアノの横に来て口々に、「Congratulation! Beautiful music! I like your Composition.」(おめでとう! なんと美しい音楽! あなたの曲が好きです。)と声をかけ、拍手してくれた。彼らが気持ち良く演奏してくれていることがとても嬉しかった。さて、これから、これをどう直してより良くしてゆくか、次のリハーサルまでの時間、録音したMDを聞きながら、スコアとにらめっこが続く。
 この日、もう1つ、大変光栄なニュースが入った。大使館からの電話で、CDを聞かれたアルスー大統領が、私の曲を大変気に入られて、是非国家宮殿で演奏してほしいとの事だった。結局、その数日後からアルスー大統領は選挙の為、地方に行かれ、実現できなかったが、この事実は私にとって何よりの励みであり、本当に嬉しいありがたいお言葉だった。

--------7月24日-----------------------------------------------
 1泊2日の観光でコパンへ行く。体育館のようなところで、マヤのさまざまな種族の踊りのリハーサルが行われていた。土着的なコンガの音に誘われるように、黒山の人だかりの中、会場に入って行くと、真っ黒に日焼けしたカリブの人達の生命力あふれる官能的な踊りに、会場は熱気であふれていた。
 この日の夕刻、グァテマラ マヤの国鳥とされている、世界で一番美しい鳥とも言われている“ケツアール”を見に行く。グァテマラに何十年と住んでいるという人達でさえ、なかなか見ることの出来ないケツアールが、目の前に現れた時、まさに神の鳥といわれているごとくのあまりの美しさに言葉も失った。
 その晩、1年に1度行われるマヤ族の中の女王を決めるコンテストを見に行った。日本や東洋の民族ともつながる蒙古斑を持つマヤ民族は、紀元前より世界にさきがけて正確なマヤの暦を作ったり、神々と交信する偉大で美しい数々のピラミッドを作ってきた。中米の中でも、このグァテマラは、マヤ民族が60%を占め、マヤの中心とも言われている。スペインに支配されてから、宗教はカトリックに強制的に変えられてはいるが、このラビンアハウのコンテストを見ていると、マヤ人達の土着の神々やマヤ文明に対する誇りや魂が、今もなお、根強く残っている事を感じさせられた。祭りは深夜まで続いた。
 さすがにこの日は眠くて、お風呂もない軍隊の野舎の簡易ベッドで、着の身着のまま眠りに落ちた。

--------7月25日-----------------------------------−------−
 森の中にひびき渡る鳥の声で目を覚ます。
 この日はマヤ民族の市を見て、夕方ケツアールが棲息するピオトポのジャングルを散策する。
 この間いろいろな植物や昆虫と対面するが、その色の美しさに驚く。赤、オレンジ、黄色、ミドリ、それぞれの色が見事なぐらい鮮明だった。山の上のレストランで食事をし、静かな夜の森の音を聞きながら、美しいピオトポを後にした。ワゴンの窓から見上げる満月が今も目の奥にやきついている。


ケツアール
--------7月26日-----------------------------------−------−
 午前中、音楽院で作曲をする。
 “Festa de Calib”,“月のこもりうた(コパンの月)”のインスツルメンタル2曲を書く。
 午後は国立劇場に打ち合わせに行く。8月5日のコンサート本番のピアノの位置、マリンバの配置を決め、ビデオの設置場所等決める。本番当日のことを想像しながら、舞台に立ってみると、1つの大きな夢が実現される事に、喜びと感謝の思いで胸が熱くなる。

--------7月27日-----------------------------------−------−
 音楽院でパート譜チェックの後、国立マリンバ合奏団の人達と昼食をとる。今回、このメンバーの7人が“風のうた”をオーケストラと共に演奏してくれる。昼食を終え、外に出ると、バラ売りがバラを売りにきた。メンバーの一人が何やらバラ売りと話しをしている。陽ざしがまぶしくて、バラのピンク色がとても鮮やかだった。
 団長と話をしていると、彼の弟さんが微笑みながら、バラを抱えて私の前に立っていた。
彼らは私の為にバラの花束を買ってくれたのだ。心遣いが本当に胸にしみてくる。
13本のピンクのバラ。ちなみにグァテマラでは、13という数字は天に通じる数字と言われ、とても聖なる数字とされている。

--------7月30日------------------------------------−------−
 アンティグアへ行く。スペインが中米の中心都市として首都をおいていたアンティグアは、日本の高山と友好都市となっていて、古都を思わせる街だ。昨年の8月にもこの地を訪れたが、それ以来、私はアンティグアが大好きになってしまった。古い石だたみの風情ある街並みに、赤やピンクのブーゲンビリアの花が咲いている。中央の公園は鮮やかなマヤの民族衣装を着た女性達が市を開いている。
 私が今回の旅行で再会を楽しみにしていた、昨年お会いした建築家のロベルト・フェルナンデスさんの家を再び訪問する。ベルを押すと、大きな木の扉が開き、フェルナンデスさんの奥様が懐かしそうに私達を迎えてくれた。どうぞどうぞ、と誘われるままに家の中に入っていくと、聞き覚えのある旋律が聞こえてきた。私の曲がかかっていたのだ。昨年お土産にさしあげたCDアルバムをかけて私達を迎えて下さったのだ。なんと粋なはからいであろうか。
 ロベルト婦人はお茶とクッキーでもてなして下さった。中でもお米から作った白い飲み物はとてもおいしかった。
 お茶の後、私達はロベルトさんご夫妻と一緒にワゴンに乗り、今、ロベルトさんが手がけておられる家や、コロニアル建築の建物を見に行く。昔からある建築の風情をそのまま生かし、創意工夫された部屋は、建築家ロベルトさんのセンスの良さがみごとに表れていた。コロニアル建築の建物の下に、手造りのみみづくが売っていた。1つ1つきれいに色のぬられたみみづくに思わず目がいった。ちょうどはしおきによさそうなみみづくを手にしたとたん、ロベルトご夫妻が、私達からのプレゼントにしたいと言われる。8月5日のお祝いに、と5つのみみづくを買って下さり、5日にこの5つのみみづくを入れる籠と布の袋を持っていきます、とおっしゃる。5日の日、ロベルトさんに楽屋で手渡された籠と布袋はちょうど5つのみみづくが入る大きさで、実にセンスの良いデリケートな心づくしに感動した。
 アンティグアの帰り、原始宗教であるサンシモンが祭られている教会に足をのばした。何とも言えない不気味さであったが、熱心な信者よって、ローソクの火は絶やされることなく燃え続けていた。

--------7月31日-----------------------------------−------−
 待ちに待ったティカールへの旅。
ティカールは、グァテマラから飛行機で1時間程の所にあるジャングルの中の巨大ピラミッ
ド群である。紀元前から紀元8Cまでさかえた大都市であったと言われる。世界の4大文明には入っていないが、世界のどこよりも早く“0(ゼロ)”の発見をしたり、正確な天体の
動きや暦を作り出した。
 昨年は途中からすごいスコールにみまわれ、全身ぬれねずみになって、道なき道、川と化した道を走ったという、なかなか体験できない事を体験した。今年はなんと、VIP待遇で、昨年歩いたジャングルを4号神殿まで車で案内された。いいのだか悪いのだか、楽ちんは楽ちんだが、昨年のようにクモザルや鳥と遭遇しながら、ジャングルを歩いて行くほうが、神殿にたどり着いた時の感動はずっと大きい。4号神殿に上るのは容易ではないが、登りきった時のあの見晴らしは、ちょっと言葉で表現できるものではない。果てしなく広がるジャングルの緑の中に、頭を出している神殿を見ると、「この神殿を築き上げる為に、いったいどれだけの歳月と人の命を費やしたのだろうか。」と長い歴史の重みを感じた。雨にけむるジャングルの景色もよかったが、晴れ渡る青空の下のジャングルも、又いい。


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