ポーランドでのレコーディング紀行@
 3月31日〜4月6日、ポーランドのワルシャワにて、現地オーケストラの伴奏でレコーディングされました。その時のようすを、晴美さんの紀行文にて、みなさまご一緒にお楽しみ下さい。
 CDの発売は、7〜8月ごろを予定しています。どうぞお楽しみに!
ワルシャワフィルハーモ二アの全景

3月31日=================

 今回のポーランドでのレコーディングは、目黒真理ちゃんと夫と私の3人で出発するはずであったが、夫の仕事の都合で、突然女二人の心細い出発となってしまった。私の右手の腱鞘炎をかばって、荷物を持ちに見送りに来てくれた佐古さんとリムジンバスに乗った。成田に着くと真理ちゃんのお母さんと妹の真紀ちゃんがお見送りに来いてた。5人で朝食をすませてから、11時半に皆の暖かい見送りを受けて、何度も手を振りながら、私達は出国ゲートへと進んだ。始めての経験にワクワクする。

 飛行機が出発してしばらくしてから、私はMDを出し、全曲の歌のチェックをする。何しろ3月に入って、新曲“父の手”“流れ星”を加えてしまったから、歌う方も大変なのだ。しかも“父の手”はとても長い曲で、かなり高いテンションを要求する。飛行機の中からレッスンが始まる。真理ちゃんは真剣な目をして、一生懸命に私の言う事にうなづく。曲に対する私の思いを心底から理解し応えようと努力してくれる真理ちゃんの心が本当に嬉しい。

 そのあと詩の大訳を考える。今回、ワルシャワフィルを指揮してくれる天野さんは、国立音大作曲科時代からの友人である。彼は、1996年の私のコンサートのライヴ録音を全曲好意で3日3晩徹夜してトラックダウンしてくれたことがある。彼は私の音楽を大変に好いてくれていて、トラックダウンの時も、周りの人達が眠くてダウンしているのに、彼はいきいきと楽しそうに、その作業をやり続けた超人である。そんな彼が、今回のレコーディングの打ち合わせの時に、「この詩の意味を、オーケストラのメンバーに伝えたい」と言ってくれたのである。ありがたい限りである。その為、私は演奏に入る前に、短く伝えることのできる大訳を書くことにした。作業はすべて終わっても、まだ飛行機はパリに着かない。やっとパリへ着き、乗り換えて、なんとか無事にワルシャワへ着いた。天野さんが迎えに来ていてくれて、無事ホテルに到着。

18時間寝ていなかった私は、その夜は死んだように眠った。

4月1日====================

 6時に目が覚める。外は小雨が降っていて寒い。真理ちゃんと朝食をとった後、天野さんが迎えに来る。この日はフィルハーモニアがあいていない為、郊外にある夫の教え子、小早川朗子(ときこ)さんの家を借りることになった。

 彼女は現在、芸大の大学院でピアノを専攻しているが、院の在学中約2年間、ワルシャワに留学してこちらでピアノを学んでいる。彼女はちょうどその日はレッスンに行く為、自分の部屋と自分のピアノを私達に提供してくれるという。危険な所だということで、8年間、ワルシャワと日本を行き来している天野さんでさえ、行ったことのないという中央駅から電車に乗って、彼女の住む郊外の家へと向かった。

 まだ寒い冬の空の下、電車の窓から、レンガ造りの家や、煙突のついたヨーロッパ風の建物が続くワルシャワ郊外の家並みを眺めていると、不思議な人のつながりで、今こうしている事に心の中は何とも言えずあたたかかった。駅に着くと朗子さんが迎えに来てくれていた。彼女の家に入ると、部屋の中央にベヒシュタインの茶色のピアノが置いてあり、窓からは雑木林とその隙間から空が見えた。朗子さんが出かけた後、私達は6時までレッスンをした。真理ちゃんが歌い、私がピアノを弾き、その横でオーケストラのスコアを見ながら、天野さんが指揮をする。歌との呼吸、タイミングを何度も打ち合わせしながら、私達3人は心ゆくまで、天からプレゼントされたひと時を味わった。

 天野さんは、その晩予定していたコンサートをキャンセルして、私達のレッスンに付き合ってくれた。ホテルに戻って、部屋から夜景を眺めながら、今日1日を振り返ってみると、人の心のあたたかさに、感謝で胸が一杯になった。


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